あくあゆ日記

浄土真宗の聞法をする一般人の日常

法話会「Yさんの体験記」

昨日はズームを使った法話会がありました。

 

ズーム法話会の流れとして、一週間ほど前に、Yさんの体験記と、光雲先生とYさんのご示談動画が発表されました。体験記を読んだりご示談動画を視聴してから、各自グループの掲示板に感想や質問などを書き込んでいきます。Yさんが掲示板の内容に丁寧な返信をつけて下さいました。

 

細かい内容はプライバシーに関わるので書けませんが、YさんはS会を経験されているので、いろいろ共感するところが多くありました。

 

掲示板にはお試し入会の方が熱心に質問を書いて下さっていました。信心について、S会と既存の浄土真宗の教義の違いについて、熱いやり取りが交わされました。

 

当日ズームによる座談では、私が久しぶりに司会を務めさせて頂きました。

 

掲示板に書き込みをされた方とは別にお試し入会の方が二名も参加され、熱心に質問をされていました。私もそうでしたが、S会を経験された方は本来の浄土真宗の教義とのズレに悩むことになります。疑問点は積極的に質問していくのが何よりの早道だと思います。

 

今回印象に残ったことです。

 

「信心は育つ」

光雲先生が常日頃から仰っていることです。煩悩まみれの私たちはご信心を頂いても、その本当の価値を知ることができません。一生かけて聞いてもその素晴らしさの全てを知ることは出来ないのです。

 

心境が変わられたらなおさら聞法を続けた方がいいのです。ダイヤの原石が磨かれて輝きを放つように、聞く耳を頂いてから聞法を続けていくと喜びがどんどん大きくなっていくのだそうです。

 

「ご信心を頂いたら聞法なんかやめて好きなことをやるぞ!」と苦しみながら聞法されている方に、ライフワークとして楽しみながら聞法できる世界があることをお伝えしたいと思いました。

 

南無阿弥陀仏(-人-)

念仏か信心か?

久しぶりの更新です。

 

正しい浄土真宗の教えを聞いていくと、S会で学んだ教えとの違いが分かってくるようになります。

 

何よりも大きな違いは、S会では積極的にお念仏を称えることをすすめないところでしょう。法話会の最初と最後に称えるくらいです。

 

お念仏はご信心頂いたことに対するお礼、御恩報謝の念仏だから、救われていない人がしきりにお念仏することはおかしいという考えです。果たしてそうなのでしょうか?

(注:御恩報謝の念仏が間違っているという意味ではありません)

 

信心と念仏の関係について、詳しく解説されている先生はたくさんいらっしゃいますが、今回は久保龍雲先生の解説を紹介させていただきます。

 

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スローロリス、、「正業はすなはちこれ 念仏なり。 念仏はすなはちこれ 南無阿弥陀仏なり (教行信証)」というテキストの画像のようです

 

昨今の浄土真宗ではよく「信心正因・称名報恩」といわれ、とにかく信心ひとつで救われるのだと強調されているのが現状です。
 
しかし今回のお言葉を読むと分かりますが、信心で助かるというよりは「念仏で助かる」という表現がしっくりくるのではないでしょうか。
 
それもそのはずで、もともと善導大師や法然聖人の教えというのは「念仏ひとつで助かる」というものであり、当然ですが親鸞聖人もそれを継承しておられます。
 
 
ではなぜ「信心で助かる」といわれるようになったか? というと、これもまた正しいのです。
 
なぜならこの信心というのは、「念仏に対する信心」だからです。
 
念仏ひとつで助かることに対しての、疑い無き他力信心。これで極楽往生するわけですね。
 
ですから表現としては、「念仏で助かる」のであり、「信心で助かる」といえるのです。
 
 
念仏と信心の関係がいまひとつスッキリしないという人は、このあたりを整理するのがおすすめです。

 

浄土真宗の言葉」より一部引用

 

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念仏と信心を分けて考えてしまうと、念仏ではなくて信心という何か独立したものをゲットしなければ救われないと思って、念仏そっちのけで信心を得ようとしてしまうのです。

 

信心とは「念仏となえる者を極楽往生させ仏に成らせる」という阿弥陀仏の本願を疑い無く聞いたというという状態です。つまり、念仏を称えることが大前提になるのです。念仏を称えるものを救うのに、念仏を称えないで信心を得ようというのはおかしいですよね?

 

念仏と信心は切り離せない関係だということ、念仏を称えること抜きで信心を得るということはないということです。

 

S会での話は大体のところが正しいことを教えていましたが、一番大切なところを間違って教えていたのです。これでは救われるものも救われないと私は思います。

現在の私の心境

私の現在の心境について書いてみたいと思います。

 

南無阿弥陀仏を称えている私は極楽浄土に生まれて仏に成ると聞いているのか?

 

恥ずかしがっても仕方が無いので正直に言いますが、実はよくわかっていません。

 

自分の思いを横に置いて阿弥陀様の仰っていることを聞く、この聞き方はできるようになりました。この聞き方ができるようになってから聞法が楽になっています。自分の思いを押し殺したり、変えようとしなくてもいいからです。

 

それから、焦って聞法するということがなくなりました。忘れていることも多いのですが、日々の生活の中で自分の悪業に気付いた時、お念仏が口から出ている時、それは聞法していることになるからです。

 

どのように聞けばご信心が頂けるのか?そのように考えていた時期もありました。でもそれでは、私がこのように聞いたらご信心が頂けるという話になってしまいます。それはあくまで阿弥陀様のお仕事だと思います。

 

私がご信心を頂いていようがいまいが、私がすることは変わらないでしょう。日々お念仏を称え聞かせて頂き、仏縁に導かれるままに聞法をして不審を出していくだけだと今は考えています。

 

よくよく注意して聞いていこうと思います。

 

南無阿弥陀仏(-人-)

アミダサンガ18の現在の活動

聞法グループで私がどのような聞法をしていったのか、詳しくは「あくあゆの浄土真宗聞法体験記」に書いてありますので、興味のある方はぜひ読んで下さい。これからのことは徐々に書いていきたいと思います 。

 

久保光雲先生が立ち上げた聞法グループは法人化してアミダサンガ18という名称になりました。両先生がブラジルから日本に戻ってこられたので、活動の内容がより充実したものになってきました。

 

まず、リアル法話会が開催されるようになりました。月2回のズーム法話会に加え、年に数回実際に会ってお話しが聞けるようになりました。ズーム法話会でも充実した話し合いが出来ていますが、やはり実際にお会いして話を聞かせて頂くと、とても濃厚な体験をしたという思いがします。

 

さらに今年の春には初の合宿が開催されました。琵琶湖湖畔の宿泊施設で過ごした2日間は、リアル法話会の数倍濃厚な時間となりました。秋には2泊3日の合宿が予定されています。先生や同行と実際に会って、とことんご信心について話し合う、不審を出し合う機会はそうそうあるものではないと思います。

 

他にもズームを使って女性の集い、子供の集い、若者の集いなどを開き、ご縁の場を広げています。これからどんな新しいことが始まるのか、どれだけにぎやかなグループになっていくのか楽しみです。メンバーの一員として、もっと盛り上げていきたいと思います。

聞法する上で大切なこと

光雲先生の聞法グループで、聞く以上に自分の思いを出していくことが大切なことだと教わりました。先生は「思いを放す」と表現しています。思いを放すことでこんがらがった心の糸がほぐれていきますし、コップ一杯になっているの自分の思いを放すことで、仏様の願いが入るスキマが出来てくるのです。

 

それからこのグループでは「信心獲得した」という言葉を使いません。「心境の変化」という言葉を使います。それは、一度信心獲得したと公言してしまうと、あとでどうやらそうではなかったという時になかなか訂正出来なかったり、間違いが恥ずかしくて聞法をやめてしまう方が出てくるからなのです。心境に変化があったからといって油断せずに聞法を続けることは、とても大切なことなのです。また、心境が変わったからと言っていきなり妙好人のような心境になるというものではありません。やはり聞法を続けていくことで味わいも深まっていくものなのです。ダイヤモンドも原石のままでは輝きませんが、磨けば磨くぼど輝くようになるのです。

 


また、聞法は勉強ではありません。先生の仰ることを一生懸命メモしていると、見落としてしまうことが出てくるかも知れません。それは「思い」です。先生がどんな思いで話して下さっているのか、仏様はどんな思いを私に届けてくれているのか、それを受け止める場なのです。

 

こういったことを教えて頂きながら、グループ全体が少しずつ成長していく様子をリアルタイムで見させて頂きました。心境が変わられた方も次々に出てこられました。

 

 

ズームを活用した聞法グループ

私が光雲先生に誘われて入った聞法グループの紹介をします。グループ名は「光雲な聞法グループ」です。

(現在は法人化にともない「アミダサンガ18」に変わりました。)

 

ズームというミーティング用のソフトを使って行なう月2回のご法話会が活動のメインになります。スマートフォンタブレット、またはパソコンがあれば参加することが出来ます。

 

インターネットの環境さえあればどこでもできるので、先生方は当時はブラジルから、メンバーは日本各地にとどまらず現在はブラジルやアメリカからも参加しています。

 

当初は前半が光雲先生のご法話、後半が座談会という形式でしたが、当日ご法話を聞いていきなり質問してくださいといっても、なかなか質問が出てこないので、ご法話会の1週間ほど前にご法話の動画を送り、掲示板に感想や質問を書いてもらう(他の人の感想や質問にコメントを送るのもOK)掲示板でよく話し合ってから、当日は座談会がメインとなる方式に変わりました。

 

この方式は画期的でした。

 

各地で開かれるほとんどのご法話が、聞くのがメインで質問や座談が物足りないのではないでしょうか?それが事前にご法話聴聞して掲示板で話し合い、当日はそれらの内容をさらに深めて話し合うことができるのです。

 

光雲先生はご法話を聞く以上に、私たちが思いを出していくことが大切だといつも仰っています。コップの水が一杯だとそこに水が入る余地はありません。同じように自分の思いが一杯だと、仏様の思いが入る余地がないのです。だから自分の思いはどんどん出して行った方がいいということなのです。

 

また、思いを出しやすいような環境作りにも心を配っています。グループが攻撃的で批判的で何か発言すれば厳しく追及されるような場であったらどうでしょう?こんなこと言ったら怒られるかな?バカにされるんじゃないか?そんな思いが先行して言いたいことも言えなくなります。そして怒られない、批判されないようなことしか言わなくなってしまうのです。

 

光雲先生や龍雲先生はどんな変な質問をしても怒るようなことはありません。ちゃんと聞いて「○○さんは今そういうお気持ちなんですね」と寄り添ってくださいます。だから恐れたり遠慮することなく思いを出すことができるのです。

 

これらは真宗カウンセリングという手法を取り入れたもので、光雲先生の先生である西光義敞先生が始めたものです。それをこのグループでは最大限に活かしています。

 

また、メンバーの人達にも聞き上手になれるコツを教えて下さいます。「私は聴聞する側だから必要ないよ」と思う方もいるかも知れませんが、実践してみるとこれは聞法する上でとても必要なスキルだと気付きます。

 

まず、グループ全体の聞くスキルが上がるので、とても話しやすい場になります。そして相手の思いを聞くことで、自分にもそんな思いがあるぞという気付きが出てきます。相手に共感して話を聞くスキルは夫婦、家族、友人や職場でも活用出来ますから、信頼度も上がりモテるようになります(たぶん)

 

ズームを活用したご法話会は、グループ全体をどんどん成長させていくように思いました。

久保光雲先生からのお誘い

前に少し書きましたが、龍雲先生はご夫婦でブラジルに行かれ、布教活動をされていました。(現在は日本に戻られています)龍雲先生の奥様は久保光雲というお名前です。

 

光雲先生は書籍「光雲な毎日」を出版されている他にも、ユーチューブでとてもたくさんのご法話を発表されています。両先生に出会ったあと我が家では、S会の書籍を読むのをやめて、光雲先生の書籍の拝読やご法話聴聞、龍雲先生の「ゼロからわかる浄土真宗」「死ぬのが怖い人へ」を拝読するようになりました。

 

その光雲先生から新しい聞法グループへのお誘いがありました。ズームというパソコンやスマホなどを使って会議が出来るソフトで、ご法話を聞けるグループを立ち上げたというのです。地球の裏側にいる先生のご法話にリアルタイムで参加出来る上に、色んな質問も出来るなんて、素晴らしいチャンスだと思い、すぐに参加することを決めました。

 

早々にズームの登録や設定を済ませ、ご法話会の日をちょっとドキドキしながら楽しみにしていました。