あくあゆ日記

浄土真宗の聞法をする一般人の日常

合宿を終えてからしばらく経って

合宿を終えてから1週間以上経過しました。

 

合宿を終えてしばらくはテンションがあがるので、頭の中を仏法が占めている割合が多くなり、お念仏も良く出る日々が続きます。でも、1週間くらい経つとだいたい普通のテンションに戻って、お念仏を忘れがちな毎日になったりします。

 

ところが今回は、テンション自体は下がってきているのですが、何か少し違うように感じています。何か身体に刻まれているような感じがするのです。

 

今回の合宿では体感型のご法話や取り組みが多かったのですが、これが頭ではなく身体の記憶に刻み込まれているからではないかと思うのです。つまり頭で記憶したことを思い出すのではなく、体験したことを思い出すから、なかなか忘れないのだと思います。

 

光雲先生おそるべし!

 

もうひとつ紹介したいのが、最終日にふた組に別れて話し合った座談です。

 

ここでは7名ずつのグループに別れて座談をしました。発言する人は好きなぬいぐるみを抱きながら発言するという、ちょっと変わった座談でしたが、いつもより落ち着いて発言出来るように感じました。

 

ここでは休憩時間に龍雲先生が他の方に話していた内容を、改めて聞かせて頂きました。

 

二枚の紙があり、一枚には真剣な聴聞、お聖教を読む、ご法話を聞くなどと書いてあります。もう一枚には念仏とだけ書かれています。あなたはどちらを選びますか?

 

その場にいた人は全員念仏とだけ書いてある紙を選びました。

 

でもちょっと待ってください、本当に念仏だけだと思っていますか?いくらなんでもちょっとくらい聞法しなくては…という気持ちがありませんか?

 

そう、念仏ひとつだけと理解している人でも、案外念仏ひとつだけの方にシフトしていないものなのです。

 

まずは念仏ひとつだけで救われるというところににシフトを変えてみませんか?

 

以前の私がこの話を聞いたら「でも、そうは言っても…」と、心細い気持ちになったと思います。でも不思議なことに今は心細くないのです。

 

これは阿弥陀様の仰ることを聞かないで自分の思いばかり聞いている状態から、阿弥陀様の仰っていることに耳を傾けられるようになったことに通じるものだと思います。阿弥陀様の仰っていることに耳を傾ける、念仏ひとつにシフトチェンジする、ここからが本当の聞法なんですね。

 

この聞き方が分かると、信前信後に関わらず聞法が楽になると思います。自分の思いや他のことを気にする必要がなくなるからです。

 

楽に聞けるようになった私は、これから自分の思いを出していく「思いを放す」ことに取り組んでいきたいと思いました。