2023年大晦日、私達家族は妻の実家に帰省をしました。
毎年の恒例行事ですが、いつもとは違うことがいくつかありました。
私達家族は静岡住まいで、妻の実家は埼玉にあります。途中東京にある私の母のお墓参りをしていくのですが、来年は十三回忌ということで、墓前で正信偈をあげさせていただきました。
家族で正信偈をあげるのは久しぶりでしたが、とても良い仏縁だったと思います。
妻の実家で紅白を観ながらの年越し、そして紅白終了間際に家を出て、鐘撞きに行くのも毎年の恒例行事です。
このお寺は妻の実家の菩提寺で、浄土宗のお寺です。年越しには蕎麦や甘酒が振舞われ、新年早々には地元保存会の獅子舞が披露されます。
毎年当たり前のように鐘撞きの列に並び、鐘を撞くだけでしたが、今年は少し心境が違いました。
鐘撞きが始まる前に住職さんとその息子さん達が短いお経をあげるのですが、そのお経の言葉に気付きがありました。
観無量寿経の中のお言葉で、お寺の鐘や本堂にも記されています。このお言葉を聞いた時「あ、真実が伝わっているんだ」と気付いたのです。
ここのお寺の住職さんは南無阿弥陀仏のおいわれや仏願の生起本末、ご信心について説かれる方ではありません。そんな住職さんの口からお経の言葉やお念仏が出てくると、真実が私に伝わってくるのです。
もちろん阿弥陀仏のお心を正しく伝える善知識は必要なのですが、正しく伝え切れない方でも、お寺を守り、お経を唱えて下さったりお念仏を称えて下さることで、正しく伝えるための役目の一端を担って下さっているのだなと思えたのです。
私がどこにいようとも阿弥陀様は私を照らして下さり、念仏称える私を必ず救うと仰っているんですね。
南無阿弥陀仏(-人-)