あくあゆ日記

浄土真宗の聞法をする一般人の日常

聞法道場で話し合ったこと

聞法道場ではどんなことを話し合ったのでしょう。

 

いろいろなテーマがありましたが、仏願の生起本末について話し合った印象が一番強いです。繰り返し何度も、深く話し合っていきました。S会ではとにかく真剣な聴聞を勧められましたが、何を真剣に聞き求めるのかいまひとつはっきりしていなかったように思います。しかし、浄土真宗の聞法は、仏願の生起本末を聞くひとつだと言っても過言ではないでしょう。

 

仏願の生起本末とは何なのか?

ㅇ生起:阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩が私を救おうと思われた理由。悪業をやめられずどうしても苦しみの世界を抜け出せない衆生を何とかして救おうと決心された。

ㅇ本:諸仏が救うことをあきらめてしまうような衆生をどうしたら救えるか五劫思惟されて救うための四十八の願をたてられ、その願を完成させるため兆載永劫のご修行をされた。

ㅇ末:そして修行はついに完成して、法藏菩薩は阿弥陀仏と成った。そしてその功徳の全ては南無阿弥陀仏の六字に詰め込まれた。

衆生を救う功徳が詰め込まれた南無阿弥陀仏を称えさせることで、救い難い衆生を救うという阿弥陀仏の救いは今から十劫も前に完成して私達に働きかけている。

そして、すでに私に届いていて私の口から南無阿弥陀仏は出ている。

南無阿弥陀仏を称える私は極楽浄土に生まれて仏に成る。

 

細かい説明なしで簡潔に説明すると、上記の内容になります。

 

まるでおとぎ話のようなお話ですが、この仏願の生起本末を疑いなく聞かせてもらえるようになるというのが、ご信心を頂くということなのです。